「ホッとする人」と「条件のいい人」は同じではありません

結婚相手の決め手は何ですか。

そう聞かれたら、あなたは何と答えるでしょうか。

現場で長く聞いてきた私の実感を、先に申し上げます。

決め手を語る方の言葉に、条件が出てくることは、ほとんどありませんでした。

年収でもなく、学歴でもなく、会話の盛り上がりでもない。

出てくるのは、たいていこういう言葉です。

一緒にいて、無理をしなくてよかった。

ときめきとは、少し違います

ホッとする、というと、地味に聞こえるかもしれません。

盛り上がらない相手と結婚するのか、と思われるかもしれない。

そういう話ではないのです。

ときめきは、強い感情です。

強い感情は、長くは続きません。

続かないから悪いのではなく、そういう性質のものだというだけです。

一方、ホッとするというのは、感情というより状態に近い。

肩の力が抜けている。

呼吸が浅くなっていない。

早く帰りたいと思っていない。

これは、盛り上がっているときには分かりません。

盛り上がっているときは、誰でも元気だからです。

分かるのは、何も起きていないときです。

沈黙が、苦にならないかどうか

現場で聞いた言葉のなかで、いちばん心に残っているものがあります。

ある女性が、長い時間を二人で過ごした翌日に、こうおっしゃいました。

長い時間一緒にいても、無理をしなくてよかった。

沈黙が、苦にならなかった。

その言葉を聞いた瞬間、私は心のなかで「これだ」と思いました。

沈黙というのは、ごまかしがききません。

話題があるうちは、たいていの人と間が持ちます。

けれど、話すことがなくなったとき。

そのときに気まずくならないかどうかは、相性としか言いようがないものです。

私の相談所には、二人ともあまりしゃべらない方同士で結ばれたご夫婦もいました。

はたから見ると、大丈夫だろうかと思う組み合わせです。

けれど、ご本人たちは平気なのです。

しゃべらないことが、二人にとっては自然な状態でした。

にぎやかな夫婦がいい、という決まりはどこにもありません。

私自身も、そこで選び直しました

私は一度、結婚に失敗しています。

最初の結婚のとき、私が見ていたのは条件でも相手でもなく、正しさでした。

家を継いで、結婚して、一家を養う。

それが正しい人生だと信じていたので、そこに合うかどうかで動いていたのだと思います。

別れるとき、妻に言われました。

「あなたとの老後の人生が考えられない」

長男である私にとって当たり前だったことが、妻にはまったく別の話だった。

そのことに、そのとき初めて気づきました。

その後、ご縁があって再婚しました。

今度は、少し違いました。

条件や世間体よりも、一緒にいてホッとできるかどうか。

それを自分のなかの基準にしようとしました。

うまく言葉にできたわけではありません。

ただ、自分の心に正直に動いた分だけ、納得感がありました。

いまも、二人で黙っている時間があります。

それが、私にはちょうどいいのです。

見分ける方法は、ひとつだけです

では、ホッとする人をどうやって見つけるのか。

方法というほどのものはありません。

ただ、確認する場所を変えるだけです。

これまでは、会っている最中に確認していたかもしれません。

話が合うか。

好感が持てるか。

そのかわりに、帰り道の自分を見てください。

疲れているか。

軽くなっているか。

早く一人になりたいと思っているか。

もう一度会いたいと思っているか。

帰り道は、嘘をつきません。

会っている間は誰でも頑張れますが、終わったあとの体は正直です。

それを何回か記録していくと、自分にとっての「ホッとする」がどういうものか、少しずつ分かってきます。

条件のいい人を探すのは、外を見る作業です。

ホッとする人を探すのは、自分を見る作業です。

こちらのほうが、時間はかかります。

けれど、そこで見つけたものは、あとから揺らぎにくいと私は思っています。

「ホッとする」という感覚を軸に、一冊書きました。

『正解の結婚より、納得できる人生』

本の紹介を読む

\ 最新情報をチェック /