何十人と会っても決まらない。それは見る目がないからではありません
何十人と会ってきた。
真剣に向き合ってきた。
それでも、決まらない。
そういう時期が続くと、こう思うようになるのではないでしょうか。
私には、人を見る目がないのかもしれない。
あるいは、理想が高すぎるのかもしれない。
私は10年間、結婚相談所で200人以上の方と向き合ってきました。
その経験から申し上げると、それは違うと思っています。
「また違った」の正体
会うたびに、「また違った」と感じる。
どこが違うのかと聞かれても、うまく説明できない。
年収も、年齢も、住んでいる場所も、悪くない。
それなのに、心が動かない。
このとき起きていることを、私はこんなふうに見ていました。
会っている相手を見ているのではなく、自分のリストと照らし合わせている。
リストに書かれた項目は、たいてい間違っていません。
誠実な人。
安定した仕事。
家族を大切にする人。
どれも、そのとおりだと思います。
ただ、リストは合っているかどうかを判定する道具です。
好きになるための道具ではありません。
判定を繰り返している間は、何十人と会っても、判定が続くだけなのです。
同じ相手が、別の人に見えた日
こんな方がいました。
30代の女性で、別の相談所から移ってこられました。
前の相談所では申し込める人数に制限があって、思うように動けなかったといいます。
移ってきてからは、積極的に活動されました。
毎週末のようにお見合いを重ねて、2か月ほど経ちました。
さすがに、ほとほと疲れた、とこぼされた時期がありました。
そのあとに出会った方と、結婚されました。
面白いのは、ここからです。
その男性は、前の相談所にいたころに彼女が申し込んで、断られていた相手でした。
その後、写真を変えられていたので、彼女は気づかなかったようです。
同じ人です。
以前は「合わない」と判断された相手が、別の場面では「この人」になった。
相手が変わったわけではありません。
変わったのは、彼女のほうです。
数をこなす力が尽きて、判定する頭が少し休んだ。
そのときに、別のものが見えたのだと、私は思っています。
見る目がないのではなく、見ているものが違うだけ
この話を、こう受け取ってほしくはありません。
疲れ切るまで頑張れば、そのうち決まる。
そういう話ではないのです。
彼女の場合、疲れが結果を呼んだのではなく、疲れたことで判定をやめられた。
それだけのことだと思っています。
だとすれば、疲れ切る前に判定をやめる方法もあるはずです。
たとえば、お見合いのあとに書き留めるものを変えてみる。
これまでは、条件や印象を記録していたかもしれません。
そのかわりに、こう書いてみてください。
帰り道、自分がどんな気持ちだったか。
ホッとしていたのか。
疲れていたのか。
なんとも思わなかったのか。
判定ではなく、記録です。
正解を出そうとしなくて構いません。
回り道は、無駄ではありません
何十人と会ってきたことを、無駄だったと思わないでください。
私は現場で、こういう場面を何度も見ました。
長く回り道をした方が、最後に「これでよかった」とおっしゃる。
そして決め手を聞くと、たいてい条件の話ではありませんでした。
一緒にいて、無理をしなくてよかった。
沈黙が、苦にならなかった。
そういう言葉が出てくるのです。
その感覚は、たくさん会ってきたからこそ分かるものだと思います。
比べる相手がいなければ、「この人だと落ち着く」とは気づけません。
あなたが重ねてきた時間は、自分の感覚を確かめるために必要だったのだと、私は思っています。
見る目がないのではありません。
見る場所が、少しだけずれていただけです。
「判定」から降りるための一冊を書きました。
『正解の結婚より、納得できる人生』

